2009年1月13日火曜日

パゾリーニ オイディプース王(40~48)

                  40 王宮のロビー
                 屋外=屋内。昼。


 元老や公爵たちがまだそこにいて、町のあの由々しいときに集っている。不安そうに、脅えて、仲間うちで話しあっている。
 イオカステーの不意の到着は、逃げるような彼女のあの足取りは、町の老いた指導者たちの一団に混乱をもたらし、一同は呆れて彼女を眺め、彼女を迎えに立った。

イオカステー わたしは祈りにゆきます……諸聖堂の神々に祈りにゆきます……オイディプースはあまりの苦しみに心を膨れ上がらせてしまって……理性に従って古いことによって新しいことを解釈しないで、痛ましいことであれば人びとが彼に言うこと何もかもに曳きずられるままになって……わたしたちみなのために祈りにゆきます、なぜなら彼、このわれらの良き嚮導が恐怖に狂っているのを見ると、わたしたちみなも脅えてしまうから……

 だがこのときそこへ、従僕や兵士に導かれて、一人の男が入ってくる。それは大層な年寄りで、寄る年波に身体に震えがきている上に、傴僂で白髪なのだが、眼は活き活きと留針の先みたいに鋭い。

老いた使者(コリントスの従僕)わたしがここ、あなたがたの町へ来たのは、〈王〉のオイディプースと話すためだ。
イオカステー わたしは彼の妻だ。おっしゃい、何の用か、何を話したいのか?
老いた使者 あなたと、あなたの家にとっては、良いニュース……
イオカステー どんな?して何者の名の下におまえは来たのか?
老いた使者 わたしはコリントスから来た。わたしはあなたに喜びをもたらす知らせを持ってきた。たぶん悲しみも。
イオカステー さあ、おっしゃい……
老いた使者 コリントスの住民たちはオイディプースを彼らの〈王〉に選ぶつもりなのだ!
イオカステー なぜ?コリントスの〈王〉はオイディプースの父親、老ポリュボスではなかったのか?
老いた使者 そうだった。いまは彼は死に、とうに墓所のなかだ……

  溶暗。



               41 同じ場所。しばらくして
                 屋外=屋内。昼。


 いまはオイディプースもいる。塔みたいに丈高な冠をいま一度頭に被り、その無疵な王の威厳にすっかり包まれている。測り知れない当然の悲しみが彼の顔に溢れている。

オイディプース どのようにしてわが父上は亡くなったのだ?何か陰謀か、それともむろん、病ゆえにか?
老いた使者 まあ、あなたの父上は年寄りだった、たいそう年寄だった。そして何でもないことでも年寄は死んでしまう……

 オイディプースの長い沈黙。その口実にはあの訃報ゆえの悲しみがあり、それはまた真実の悲しみでもあった。やがてまた話しだすときには、独り言のように話す。

オイディプース 預言が何の役に立つのだろう?イオカステーよ、おまえが正しかった!
預言によれば、われはおのれの父親を殺すはずであった。ところが彼は死んで、その墓のなかにいる……われの遠くにあるを悲しんで死んだのではないかぎり……そのような場合にのみ、われは殺害者なのだが……

 イオカステーが彼に近寄り、彼の手を握る、まるで彼が、その瞬間に、勝利者でもあるかのように。

イオカステー お分かりになった?もうここ数日間あなたを脅えさせていたような酷いことは何一つお考えにならないで……
オイディプース そうだ、だがいま一つなおわれを脅えさせることがある……おのれの母親との愛という考えだ……いまはそれがなおわれを脅えさせる……
イオカステー でもなぜ?なぜ?わたしたちは偶然のなすがままにあるし、わたしたちの誰一人としておのれに起こることを事前に知ることは出来ないのよ。最も賢いことは運命のなすがままに任せて、出来るだけのことはして生きることよ……それになぜあなたはおのれの母親の愛人となるという考えにそんなに脅えたのよ?なぜ?どれほどの男たちが、夢のなかで、おのれの母親と愛を交わしたかも分からないのに?

 こうした言葉は集まりの無言のなかにまるで曝露するもののように落ちる。男たちはオイディプースとイオカステーを脅えたように見つめる。だが、なかには微笑む者もいる、規範を外れたこと、即ちスキャンダルをまえに、気やすい恐ろしい微笑み。

イオカステー 誰か母親と愛を交わす夢を見たことのない者がいようか?なのにそんな夢に脅えて暮らすなんて?いいえ、無益な苦しみなしに人生を過ごしたいと願わないのでもなければ!
オイディプース わが母親が生きておらぬなら、おまえの言うことももっともだが、彼女は生きているのだ。だからこそわれは恐れる、恐れぬことなど出来ないのだ、たとえおまえが正しいとは分かっていても。
イオカステー でもその間にも父親の墓は大きな見開いた目よ!
オイディプース そうとも、大きいとも!それでもわれは生きている母親が恐ろし……
 
 留針の先みたいに鋭い目の、老耄が割って入る。

老いた使者 何であなたが彼女を恐れることがありましょう!そんな恐れはお捨てなされ、お捨てなされ……してわたしがその理由をお話ししましょう……  
オイディプース 老人よ、どんな話だ?どんな理由だ?
老いた使者 ポリュボスはあなたの本当の父親ではなかった……
オイディプース おまえは気狂いか?何てことを言う?
老いた使者 ポリュボスがあんたの父親ならこのわたしだってそうなれたことだろう!
オイディプース (喚きながら)おまえは無だ、何者でもない!だが、彼は、彼はわれ
をなしたのだぞ!
老いた使者 いいや、われらふたりのどちらもあなたをなしてはいない……
オイディプース (絶望して、子供みたいに相変わらず喚きながら)それならばなぜ彼
はわれを息子と呼んだのか?
老いた使者 あなたが生まれたてのころに、彼の許にあなたを運んだのがわたしだった……
オイディプース おまえが?しかし彼はわれをあんなにも慈しんでくれたのに?
老いた使者 彼には跡継ぎがいなかった、だからこそあなたを愛したのだ!
オイディプース ならおまえは……おまえはわれを買ったのか、それとも見つけたのか?
老いた使者 わたしはあなたを、たまたま、キタイローン山で見つけた……わたしはポリュボスの家畜を放牧しているところだった……
オイディプース そして苦しんでいるわれを見つけたのだな……死にかけているわれを……
老いた使者 あなたの小さな足は紐のせいで破けていた……
オイディプース ああ、おまえはわれに昔の痛みを思い出させる……
老いた使者 そう、あのせいであなたは子供のころから〈脹れ足〉という渾名だった、思い出すかね?
オイディプース 疾うに襁褓のころから、われは最初の恥をかいていたのだな。しかしあそこにわれを運んだのは誰か、われの父親か、それとも母親か、おまえは知らないのか?
老いた使者 ラーイオスの下男だった……
オイディプース まだ生きておるかな?
老いた使者 わたしは知らないが……
オイディプース 誰か、ここに、それを知っておる者はおらぬか?何もかも明るみにさらけ出すときが来た!

 オイディプースは興奮状態に近い。まわりの人びとは彼を眺めて、彼に、その探索の発作に曳きずられて、彼を助けようとする。

元老 思うに、あなたが探しに送ったまさしくその同じ下男のことではないかな……ラーイオス殺しの証人の……しかしイオカステーのほうがわれらよりも良く彼を知っているはずだが……
イオカステー とんでもない、だめ、何を探しているの、何を話しているの?オイディプースよ、首を突っ込まないで、まったく時間の無駄よ!何もかも無視したほうがいい、ずうっといいわ、そんなことより……
オイディプース おまえは間違っている!われは知りたいのだ、ついに、われは何者なのかを!
イオカステー 後生だから、探索は止して……生命を愛しているのなら。わたしの苦しみはもうたくさん……
オイディプース 調べたら、われが貧しい人びとの息子だと知れるのを、おまえは恐れているのか?おまえは高貴の人だ、心配するな、おまえは高貴の人のままだろう!
イオカステー オイディプースよ、探索は止して!お願い、わたしの言うことを聞いて!
オイディプース それは出来ない。はっきりと見ることが必要なのだ。
イオカステー 可哀相なオイディプース!あなたがおのれが何者か決して知ることのないように!

 無言で、イオカステーが退出する。逃げもしないし、走りもしない。その足取りは、深ぶかと嬉しいほどの必然性に従うかのように、彼女を確実に曳きずってゆく。

元老 イオカステーはどこへ往くのか?彼女のあとを追え、オイディプースよ、彼女のあとを追え、彼女の傍にいて、なぜこんなふうに振舞うのか、訊け、彼女を退出させるほどの、この俄の測り知れない苦しみは何なのか。
オイディプース 構うものか、一向に。われは誰に生命を負うているのか、識るときが来たのだ。いまは、われの捨て子の賤しい出自を、彼女は恥ずかしがっているのかもしれない。そのとおり、われは〈幸運の子〉だ!これこそがわが母親だ!われは恥ずかしいとは思わない。わが生涯でわれは苦しみ、楽しみ、笑い、泣いた、なぜならあの女、〈幸運〉がわが母親だから!そしてもしこのようにしてわれが生まれたのなら、また違ったふうにではありえないのなら、なぜ真実を探しつづけてはいけないのだ?

  溶暗。


                  42 王宮前の広場
                  野外。昼。


 ふたたび民衆が王宮前に群がっている。
 みなの真ん中に、そこまで彼を導いてきた少年である使者の傍らに、いまは老いた下僕──赤子のオイディプースをキタイローン山に運んだあの男──ラーイオス殺しに居合わせたあの男がいる。彼も寄る年波にすっかり老耄ている。しかし彼は齢による震えと一緒に恐怖による震えによっても身を震わせている。
 彼の前にはコリントスの老いた使者がいる。二人の老人は、無言のうちに互いに相手をそれと識って、宿命を生き抜いてきた男たちのいわくありげな、敵意ある、奇妙な眼差しで、睨みあう。
 オイディプースもそこ、階段の最上部、宮殿から出た〈王〉が審問を許す場所にいる。そして頭にはその丈高い冠をなおも被っている。彼はコリントスの老いた使者を見守る。
 不可解にも絡まりあうこうした三者の眼差しのほかにも、不安げな、無関心な、敵意ある、そして笑みを湛える眼差しさえある。異質性を告げて曝露する笑い、子供っぽいと同時に手に負えない皮肉の溢れんばかりの笑いを笑う眼差し。

オイディプース おまえが話していた男は、この男か?
老いた使者 そうだ、この男だ。
オイディプース それでは老人よ、おまえの番だ。われを見て、われに答えよ!昔、おまえはラーイオスの従僕だったか?
老いた従僕 はい。
オイディプース して、何をしていた?
老いた従僕 牧人……
オイディプース して、家畜を連れてどの辺りへ行っていた?
老いた従僕 キタイローン山か、それとも麓の辺りかに、行っていた……
オイディプース 北の方で、おまえはこの男と遇わなかったか?
老いた従僕 何のために?それに誰のことで?
オイディプース ここにいるこの男のことだ。おまえは彼を知らないか?
老いた従僕 思い出そうとしているのだが……どうも見かけたことはなさそうだ……知らない……
老いた使者 彼が思い出さないのも無理はない!ずいぶんと昔のことだ!それでもわたしらは三つの季節を一緒に北のほうで、キタイローン山中で過ごしたものだ、わたしはわたしの群れと、彼は彼の群れと……春から初秋まで……三季節……
老いた従僕 そのとおり、たぶん本当かもしれない……だが昔もむかし大昔のことだ!
老いた使者 思い出さないか、その頃、わたしが山のなかで赤子を見つけて、あんたはあそこにひとりっきりでいた、あの日のことを……
老いた従僕 何?何と言った?またなんでそんなことをおれに聞くんだ?
老いた使者 オイディプース、あんたの〈王〉が、あの日の赤子だよ!
老いた従僕 ああ、止さないか、そんな作り話は……みんな気狂い沙汰だ。
オイディプース (いつもの怒りの衝動についかられて)いや、彼の話がではない、お
まえの話が気狂い沙汰なのだ……おまえはおのれのしていることを弁えよ!
老いた従僕 なぜ、ああ、〈王〉よ、何でわたしを叱るのか?……
オイディプース おまえが訊かれた赤子のことを黙っているから、黙っているからだ……
老いた従僕 でもわたしは何も知らない、何も知らない、何を言わねばならないのか?

 すると、オイディプースは怒りで凄い形相になりながら、彼を殺そうとするかのように詰め寄るが、堪えて、面と向かって怒鳴りつける。

オイディプース ならばおまえは痛い目にあって話すがよい、いいか!いいか!
老いた従僕 わたしは老耄だ、哀れな老耄なのに……
オイディプース 奴を掴まえろ、縛り上げろ、片づけてしまえ!
老いた従僕 (恐怖にわれを忘れて、屈しながら)で、何を、何を知りたいので?
オイディプース その赤子をおまえは山のなかに運んだのか、それとも運ばなかったのか?
老いた従僕 はい、運びました。だから、すぐに死んだのでは……
オイディプース して、その赤子を、おまえは誰から貰ったのだ?おまえの息子だったのか、それとも違うのか?
老いた従僕 わたしのではない……わたしは渡されたんだ……他の人から……
オイディプース して、その他の人というのは誰々だった?
老いた従僕 後生だから、もう訊かないで下され。
オイディプース (再び喚きながら)話すか、それともおまえは死ぬかだ!
老いた従僕 ラーイオスの息子だった……
オイディプース 彼の奴隷のか、それともまさしく息子か?彼が生した?
老いた従僕 ああっ、それは到底口には出来ないことだ!
オイディプース してそれは、われも聴く耳はもたないことだ!だが、聞かねば、聞かねば!
老いた従僕 まさしく彼の息子だった。しかしいまは家に入ってしまったが、あなたの妻イオカステーほどには、何者もよくは知らぬことだ……
オイディプース おまえに赤子を与えたのは彼女なのか?
老いた従僕 そうだ、彼女が赤子をわたしに手渡した。
オイディプース して、どんな命令で?
老いた従僕 殺せよ、と。
オイディプース またなぜそんな非道なことを?
老いた従僕 なぜなら、恐れていたから……不吉な預言を……
オイディプース どんな?
老いた従僕 赤子は両親を殺すだろう……と。
オイディプース じゃ、なぜおまえはこちらの老人が彼を助けるままにしたのか?
老いた従僕 憐れみゆえに。
オイディプース (独り言のように)これで、いまはすべてがはっきりとした。

 相変わらず深ぶかと思いに沈み、うわの空みたいに、おのれが何をしているかも知らぬげに、背を向けると、ついさっきイオカステーがしたのと同じように、王宮の私的な部屋部屋へ、吃りながら入ってゆく。

オイディプース (夢のなかでのように、独り言で)すべてがはっきりとした……宿命
によって、強いられたのではなくて、意図された何もかもが。


                  43 王宮の内部
                  屋内。昼。


 しばらくまえと同じように、オイディプースは宮殿の内部を、その寝所に向けて彷徨い歩く。
 相変わらず夢のなかでのように、ぼんやりと、ゆっくり、不可解なくらいに落着き払って歩いてゆく。
 真実が彼を卒倒させてしまったかのように、彼は苦しむためにさえも正気を取り戻すことが出来ない。もう彼ではなくて、ある記憶喪失が彼を導いてゆく。そして実際彼は場所に見覚えがないかのように辺りを見回す。
 こうして無意識的に彼は寝所に入る。


                    44 寝所
                  屋内。昼。


 敷居を跨ぐやいなやオイディプースはすぐさま見る……
 ……天井の梁に縊れたイオカステーの揺らめく身体を。
 傷ついた野獣みたいに、オイディプースはその身体に飛びかかり、まるで彼女を救おうとする最後の試みであるかのように、彼女にしがみつく。あの光景が彼をその夢から毟りとり、激しい仕草が彼に激しい苦しみを再び齎す。
 しかしあの生命のない身体にしがみつくことで、彼はたった一つのことしか得られない。つまりイオカステーの衣裳を毟りとることになる。
 そして彼女は、 彼の母親は 彼の前にいま一度裸で現われる。
 彼が耐えることが出来ないのは、あの裸体だ。
 激怒した獣みたいに、彼は釦金──幾度となく開けてその花嫁を裸にしたあの釦金──を開けて、毒針をおのれの目に打ち込みながら苦痛の叫び声を上げる。
 滅多刺しにされた両目が、母親の裸体の俤のほうに向けられる。それは始めは形を崩してゆき、やがて不透明なピント外れの映像となって、終いには底知れぬ闇のなかに消えてゆく。

  底知れぬ闇のなかにゆっくりと溶暗。


                  45 王宮前の広場
                  野外。昼。


 民衆や元老たち、みながいる。不幸のあった家の前に犇めく人びと。
 深い無言、待つこと……
 誰もが扉のほうを見る。と、そこから、手探りしながら、足で探りながら、オイディプースが出てくる。
 長く、深い無言が続く。どの眼差しも彼の上に注がれている、その彼は手探りで進んでは、転んで、また立ち上がる。ひとりだけ。
 眼差しのなかには戦慄、嫌悪、憎しみ、皮肉が、いまでは憐れみに勝っている。
 あの長く、悲劇的で戸惑わせる無言を、かぼそい声でついに破るのは、ひとりの元老、憐れみ深い目の年寄だ。

元老 なぜ、なぜそんなことをなさった?

 オイディプースは顎は伸びきり、潰れた蛆みたいに、頭を巡らしながら、その声の主を探す。酷い肉体的苦痛に砕かれた声で、やっと何か言う。

オイディプース こうすればもう悪を見ないで済む……わたしが苦しんだ、仕出かした悪を……闇のなかでは、いまでは、見るべきでないものを見ることはない……わたしが識ろうとしていた人びとを識ることはもうないだろう……

 またも非常に長い沈黙、長すぎる。やがてオイディプースがまた話しだす、繰り返しながら。

オイディプース 耳も切り裂いてしまえばよかったのかもしれない……おのれ自身のなかにこの不幸せな身体をもっとよく閉じ込めてしまうように……そうすれば、もう何も見ず何も聞かない……何ひとつ……悪の外に心を持つことの甘美さよ!

 再び口を噤み、やがて長い沈黙のあとで、無考えに切れぎれに話すかのように、また言いだす。

オイディプース 早く、早くわたしをここから遠ざけてくれ……ぞっとさせるこの男をおまえたちから遠ざけてくれ……

 そしてまた黙りこみ、その底知れぬ夜のなかで言葉たちが形づくられるのを待つ。

オイディプース 不純なことは黙らねばならない……そのことは語らず、証言せぬこと。黙ることだ!わたしを隠してくれ!このわれらの土地からわたしを追い出してくれ!誰にも見られずに済むところにわたしを投げ入れてくれ!
元老 (相変わらずおずおずとかぼそい声で)いまは決めねばならないのはクレオーン
だ……

 オイディプースはその潰れた蛆の頭を巡らす、まるでクレオーンの居場所を探すかのように。そしてあの名前を耳にしたせいで、彼の胸からは長い嘆きのうめき声が洩れでる

クレオーン いや、オイディプースよ、いまはおまえを嘲るつもりはないし、おまえの罪を非難するつもりもない……だが、おまえたち、おまえたちは何をしているのだ?彼を家のなかに連れてゆけ、身内の者たちに預けて、惻隠の情からも、この人のいまの哀れなありさまは彼らだけの目に触れるように……
オイディプース いや、クレオーンよ、いや……その惻隠の情があるならば……わたしをこの町から遠くに追い払ってくれ……わたしを荒寥たる山中に往かせてくれ、わたしの父親と母親が生まれたばかりのわたしを遣ることにしたあの山々に、かつて両親がわたしが死ねばいいと願ったその場所でわたしが死ねるように……

 クレオーンはもう何も言わない。うつむいて黙りこみ、曖昧な眼差しをオイディプースと他のみなに投げかける。
 いままたあの人びとみなのうえに、悲劇的で戸惑わせる無言が降りてくる。誰もが仲間うちで目を交わして、戦慄、侮蔑、皮肉、憐れみの目でオイディプースを眺める。
 オイディプースは手探りで歩きだす、町の外へと通じる道を探しながら、転び、また立ち上がり、黙って、手探りで進む。
 するとそこに使者の少年がいつもの憐れみ深い慎ましい顔つきで彼のほうにやって来る。だが、その手には何かを持っている。それはフルートだ。テイレシアースのそれと同じようなフルートだ。盲た者のもつフルート。事態を掟のなかに戻す、スキャンダルをコード化してゆくフルートだ。
 賤しい仕事に慣れている少年は、まだ生々しいあの傷痕から血を流している、こんなにも酷いありさまになってしまったあの男に近寄ることを恐れない。彼に近寄って、彼にフルートを差し出すが、目の見えぬオイディプースはそれに気づかない。
 すると少年は彼の片手をとって、掌にフルートを載せる。オイディプースの手が、触って、識ろうとする。フルートを握りしめ、少年に支えられながら、彼と一緒に歩いてゆく。
 ふたりは出てゆく──あの不快な過度の沈黙のなかを──しかるに群衆は見知らぬ者を見送るような眼差しで、彼らを追っている。
 オイディプースの歩みは遅々としている。だから立ち去るのに、遠ざかるのにどれほど時間のかかることか。
 長い時間の後、ようやくふたりは、町の外へと通じる街道を往く、後ろ姿の遠くの二人になる。
 ちらと見えるかぎりでは……あの下のほうで……オイディプースがフルートを唇にもってゆく……そして最初の音を出す……そしてそれから第二の音を……そして少年が、後ろから、彼を励ましている……
 そしていまオイディプースが吹く、──盲た乞食、預言者が──なおたどたどしくあどけなく、あるメロディーを、その幼年時代のメロディーを、テイレシアースの神秘的な愛の歌のメロディーを、宿命の前であり後であるあのメロディーを。
 埃だらけの街道の奥に、遠く二人の姿は見えなくなる。


                    46 広場
                  野外。昼。


 歴史と文明の徴のある大きな広場がある。いまだ未完成の赤い石造りの大聖堂、前には、尖頭アーチと大理石の両開き窓の並ぶ荘重なアーケードのある市庁舎、そして横には、狭間胸壁のある、やはり赤石造りだがずっと古い時代の別の宮殿、そして辺りには屋根屋根とアーケードの、赤い家並。
 広場の右側にはアーケードの長い列、金持の家族や公の出来事や昔の散歩の思い出の詰まったアーケードの優雅な連なりがある。
 それはブルジョア階級がその習慣を祝って、その偉大さに思いを凝らす場所のひとつだ。
 こうした古い時代の宮殿と、こうした腐蝕したアーケードの間に、優雅な店々が煌めいて、行き交う市民と交通の猛烈で甘美な往来がある。
 しかしその広場の一角に、日々の平安のなかに赤らんでゆく甘美な太陽の下で、怠惰な人びとと鳩たちの居場所がある。
 オイディプースとその若い導き手は、脇の道からやって来てそこに、暮らしの渦巻きの埒外の、いくらか外れたその場所に着く。
 オイディプースは腰を下ろして、髪は長く伸びて手入れをしない髭は埃まみれの老いた乞食や預言者のなりで、そのフルートを吹き鳴らす。
 メロディーはブルジョアのイタリア統一運動か(それとも革命運動か?)の、自由のための闘いの歌のメロディーだ。
 一吹きのあのメロディーにつれて、そこの周囲の何もかもが、その的確で感動的な意味を獲得する。何もかもがたちまちひとつの思い出みたいになって、その日常性と一緒にその叙事性をまた見出す。
 本を抱えて通り過ぎる学生たち。アーケードに沿って、美しい町の少女たち。赤ん坊を腕に抱えた母親、あの午後とあの朝の貫祿に溢れる、暮らし向きのよい母親。
 子供たちが一団となって通りかかり、オイディプースのまわりに輪になって、いくらか彼に驚くが、逃げ出す前に少しだけ彼をからかってゆく。

子供たち 〈脹れ足〉!〈脹れ足〉!〈脹れ足〉!

 大聖堂を写真にとる観光客たち。
 光と影のカットのなかに、怠けている憲兵たち。
 人類がその怠惰と息切れと一緒に、その宿命的な歩みをまた見出す何千時間ものうちの一時間である時の出来事、仕草、足取り、眼差したち。
 使者である少年は、ぼんやりして、何の心配もなげに、鳩たちと戯れて、驚かしては、飛び立たせている。
 そしてその間もオイディプースはそのフルートにあのメロディーをそっと吹き込む、するとその調べが、彼のまわりのすべての事物に、歴史のあの甘美なざわめきに、意味を与える。
 やがて、突然、吹くのを止める、まるである思考によって、直ちに息を切らせながら実現せねばならないある考えによって、呼び戻されたかのように。彼は手探りで進みながら、せっかちにじれったがってその案内役を探す。
 少年が傍らに来ると、彼は少年を押して別の裏通りへと進む──彼の内奥の、遙かな呼び声が彼を導くかのように──どこへか、慌しく、彼らは姿を消す……


                  47 郊外の工場街
                  野外。昼。


 巨大で、平たく、軽い、工場という工場が北国の晴れた朝のくすんだ地平線全部を占めている。
 そこはハイウエーが分岐している場所で、青い霧のなかをほとんど音もなく走りすぎる車の川を、陸橋が軽快に跳び越している。
 しかし、その不明瞭な必要に従う輪郭とともに、それゆえ古い時代の教会の簡素さを有しているいくつもの工場の存在によって、すべてが支配されている。非対称の塀やどれもこれも同じ円筒状建物の執拗な連なりの藤色、灰色、スフマート、眩い白が、同じ色をした空を背に建っている。
 こうした完成された一角に何かなお渾沌とした鄙びたもの、そこばくの生け垣のある牧場の残りがあって、その後ろには、石炭の巨大な山があって、ぼやけた空に黒ぐろと煌めいている。
 あそこに、工員たちが工場へ行きながら通るあの場所に、オイディプースと彼を導く少年が向かっている。
 彼らはそこに腰を下ろす。そしてオイディプースがそのフルートに息を吹き込む。
 こんどはメロディーは民衆の蜂起、パルチザン闘争の歌のメロディーだ。するとそれが、不可解にも感動的なことに、辺りのものすべてにひとつの意味を与えるように見える。労働者たちの通過に、遠く近くの交通に、あの遠いバス停でバスを待つ民衆の人びとの群れに。
 少年たちが牧場でサッカーをして遊んでいる。オイディプースの少年=使者は、あの民衆的な時に、お道化て陽気に、彼らと遊びにゆく。
 オイディプースはそのフルートで、こうしたことの意味であるあの曲を吹くことに夢中で、われを忘れている。

  溶暗。


                48  サチーレの郊外
                  野外。昼。


 オイディプースと彼を導く少年は、いまは故郷の白い質素な街道にやって来る。真昼時を、黙って歩いてゆく。
 するとこうして、たちまち、昔のぬぐい去りがたい俤が甦ってくる。
 一筋の街道と一軒の家……
 野辺は家並の裏手すぐにまで迫っている……
 しかしプチブルたちの、慎ましい家並だ…… 蔓棚に、雨樋、玄関には小さな軒縁。この後背地を何世紀にもわたって支配した海の都市の貴族の痕跡だ。
 小学校の子供がふたり、兵隊がひとり、通る……あのときと同じ兵隊に見える、たとえ軍服は一九三〇年代の灰緑色ではなくて、六〇年代のカーキ色だとしても……
 いまはオイディプースと少年は町を外れたばかりの街道を歩みゆく、町は彼らの背後で昔ながらの白い塊になってゆく。
 そしてここに……
 ほら、ここに麦打ち場の真ん中に小麦のある昔ながらの田舎家がある。
 そして一頭立て二輪馬車……それに行ったり来たりする犬……見知らぬ人たちなのに、切に身近に感じる人びとが、雌鶏たちのあいだに……
 いまは街道は爽やかだがいくらか緑の薄くなった高台の縁を走り……近くにはたぶん、鉄道が通っていて──世界のその一角の疎らな通行人──農夫たちがいて、電動椅子に乗った小児麻痺の……曰くありげな青白い顔をした男──見知らぬものとなったあの土地の証人が、過ぎてゆく。
 オイディプースはあの街道を歩いてゆく。すると、ほら下に、ある日、赤ん坊のまわりで、少女たちが走り回って、陽気に叫び交わしていた広い牧場が広がっている……
 オイディプースは少し立ち止まり、やがて、その渇望の激しさによってまたも押しやられるかのように、下のほうへ、牧場づたいに導かれてゆく……ずうっと奥のリヴェーンツァ川の青々とした水面まで……
 そしてここで立ち止まる。おのれの闇のなかで、彼が探し求めてきたものは、何もかもここにあったのだろうか?
 鄙びた、野性の、銀色の柳の濃い茂みが、ゆっくりと流れゆく水面にその枝々を這わせているあの至高の一角だ。
 オイディプースの眸が初めて母親を見分けてそれと識ったあの場所だ。
 軽やかな、古い時代の、言うに言われぬ風によって生気を与えられた、こうした俤の上に、いきなり音楽が爆発する。そのモチーフからはたちまち動顛させる意味が引き出される──反復、回帰が──時の虚しく移ろうなかで原型となる不動性が──幼年時代の神秘的な音楽が──預言的な愛の歌が──それは宿命の前であり後である──あらゆる物事の源である歌が響きわたる。

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