2009年1月14日水曜日

パゾリーニによるオイディプース王(34~39)

          34 同じ場所。しばらく後 野外。昼。

 まだ同じ群衆がいる。ただクレオーンだけが欠けている。
 とことん知るというおのれの決意によってますます激しく駆り立てられて、オイディプースはいまはまた階の最上段〈王〉である彼の場所にいる。彼はおのれの声を抑え、もう大声はたてずに、仮借ない意志の徴にも似て、穏やかにふるえ声で話す。

オイディプース この言説には、また事実そのものにもわれはあたかも無縁であるかのようにおまえたちに話すとしよう、なぜならただ一人では、いかなる手掛かりもなしには、われは大して長くは取調べ出来ぬであろうから。
 おまえたちの〈王〉としてわれは命ずる、おまえたちの誰であれ、ラーイオスが何者によって殺されたのかを知る者はそれを明かせ、たとえ話すことによっておのれ自身を告発せねばならぬことを恐れていようとも……
 われは……われは約束しよう、その者は何ら不快な目には遭わされずに、危険な目にも遭わずにおのれの国を去ることが出来る、と……
 だがもし誰かには人殺しが別の者か、それとも異邦人か、分っているのなら、それを隠すな。なぜならその者は報われようし、みなの感謝の念によってばかりではなくて……
 しかしもしおまえたちが話さぬのなら、またおまえたちの誰かが友人のためか……それともおのれ自身のためか……計って、われの言うことに耳を貸さぬのなら、そのときにはわれのなすつもりのことをよくよく思い知るがよい。
 いまわれに属しわれの統べるこの国のすべての人間にわれは禁ずる、その者が何者であろうと、この男を受け入れ、彼に話しかけ、彼と共に神に祈ることを禁ずる。おのれの家より彼を追い出すことをみなに命ずる、なぜなら彼こそはわれらの不幸せであるのだから。そして罪のある者に関しては、予言しておこう──一人であるがゆえにか、それとも大勢の共犯者がいるがゆえにか、たとえ人目につかずにおろうとも──その生命を最も酷い苦しみのなかで閉じることを。
 そしてもしたまたま彼がここにいるのなら、そしてわが家で食卓を共にしているのなら、そしてまたわれがたまたまそのことを知っていたなら、われはおのれ自身に予言しておこう、さっき他人のために予言したその苦しみを蒙ることを。
 われは殺された〈王〉の仇を討つことを欲する、そうともあたかも彼がわが父親であったかのように ……
 いまは彼の権力はわれに移り、彼の所有地はわれの物となり、彼の妻はわが妻となった……そしてたぶん子らさえ共有することとなろう、もし彼がその一人息子を失っていなければ……

 しかしその最後の言葉が発せられたあたりに、燃える大気のなかに、奇妙な遠い昔の力強い音楽が鳴り渡り、ますます強く響いてきたので、それに惹かれて耳を澄まそうと、オイディプースはその長くて揚々とした言説を中断してしまう……

第一の元老 テイレシアースだ……彼は神のごとくに見る。ああ〈王〉よ、彼にこそ尋ねれば、何もかも知れることだ。
オイディプース(誇らかに) 彼はここへ来た、なぜならわれ自らが彼を呼びにやったからだ。それゆえわれは何もかも知るだろう。

 その間にテイレシアースは〈王〉のまえに着いて、その甘すぎる曖昧なフルートの調べを奏でるのを止めて、そこに無言で、盲の目で控えている。やがて彼が堰を切ったように話しだす。

テイレシアース ああ、知るということは何と恐ろしいことか、知ることが知る者に何の役にも立たぬときには! そしてわたしは知っていたが、わたしはそのことを忘れていた。さもなければ、わたしはここまで連れてこられはしなかっただろうから。
オイディプース どうしたのだ? 何をそんなに驚く?
テイレシアース わたしを家に帰らせてくれ! どうかわたしの言うことを聞いてくれ! わたしらふたりにとってそれがいちばん荷が軽くて済むことだ。
オイディプース だめだ! 話すことは町に対するおまえの義務だ……
テイレシアース わたしの言葉はおまえにさえも役に立たない。そしてそのような運命がわたしに降りかからぬように……
オイディプース 待て、神の御名にかけて! おまえは知っているな! われらみな、わが町の者たちとわれと、おまえに頼むのだ!
テイレシアース おまえたちは気が狂っている、しかしわたしは話すつもりはない。わたしはおまえの悪を暴きたくはないのだ……
オイディプース おまえは知っているのに黙っているのか? 町を滅ぼすつもりか? そんなにも敵意ある頑な沈黙を示すとは、おまえは石で出来ているのか?
テイレシアース おまえはわたしを面と向かって叱責し、わたしの本性を非難するが、そのくせおまえのうちに潜む本性については知りもしない。

 テイレシアースが姿を見せたその最初から不可解にもオイディプースを襲っていた俄の怒りがいまは顔を醜悪なまでに歪めて、彼に大声をたてさせる。

オイディプース 〈王〉と町を侮辱する言葉を聞いて、立腹しない者があろうか!
テイレシアース ああ、わたしが口を噤んでいたとて、事実が話しだすことだろう。
オイディプース しかしだからこそ、おまえは話さねばならない!
テイレシアース わたしはもう話しすぎてしまった。そしておまえは好きなだけ、怒り狂うがよい。

 オイディプースに対するテイレシアースの反感は深ぶかと頑で抜きがたい。彼には怒りは要らない。その理性だけで充分なのだ。それはまさしく闇に対する光の、嘘に対する真実の憎しみである。そしてそのことがオイディプースの怒りを募らさせる、彼はおのれが闇の、嘘の側にあることを知らないのだから。そして不当にも、喚く。

オイディプース ああ、そうか? それならいまこの心に浮かんだことを知るがよい。思うに、あの犯罪はおまえが命じたのだ! 盲でなかったら、おまえ自ら手を下したのだと言うところだ!
テイレシアース おまえはそう思うのか?ならばおまえに言う。おまえ自身が公布した追放令に従えばよいものを。なのにおまえはここに、われわれの真ん中にいる、そんなおのれを見よ。なぜなら、われわれの土地を不浄にする罪ある者とはおまえのことなのだから。もしもおまえがよく理解できぬのならもう一度言ってやろう。おまえが捜している人殺しはおまえなのだよ。おまえだ。だのにおまえはおのれに最も大切な者たちと不倫の関係を持っていることを知らぬ。おまえはおのれのうちに潜む悪を見ない。
オイディプース そこまで言いくさって、おまえはその言葉の咎めなしに出られると思ってか?
テイレシアース わたしはとうに無事だ。わたしの味方には真実がついているのだから。
オイディプース(われを忘れて)真実は他の誰もの味方をしようが、おまえだけは無理だ、おまえは目、耳、心さえも盲ているのだからな!
テイレシアース 不幸せな者よ! おまえは、まなしにみながおまえを罵るであろう、その言葉でもって、わたしを侮辱するとは!

 狂った希望の光が跳ねてオイディプースの目を過る。爪と牙で身を守る獣にも似て──救いをもたらす反駁に悪辣な喜びを覚えるのだ。

オイディプース 言えよ、そんなたわいもない作り話をでっち上げたのはおまえか、それとも、クレオーンか?
 富、力、偉大さ、闘いでしかないこの人生にどれほどの妬みをおまえたちは生じさせたことか! 見よ、そうとも、贈られて得た町に対する権力のせいで──われから求めたのでもない権力のせいで──初めのころは良き友であったあの忠実なクレオーンさえもいまはわれを覆そうとしている。そうとも、確かにわれの地位を奪おうとて、この老耄の魔術師を、稼ぎになるときだけ目の見える、しかもその芸術においてはつねに盲た、この乞食を送りつけたのだ!

 人びと、元老たちはこういう予測しがたい口論を聞いて、われとわが耳が信じられずに、あるときは一方を、またあるときは他方を見て、まるで見知らぬ人を見るかのように、二人を眺めやる。

第二の元老(小声で、吃りながら)オイディプースよ、わしらにはあんたの言葉も、彼の言葉も、同じくらいに怒りに煽られているように聞えるのだが……わしらに必要なのは怒りではのうて、どうしたら〈神〉の求めに応じられるのか、知ることだぞ……
テイレシアース おまえが〈王〉であるとしても、わたしだってそうしたければ、おまえと同じくらいの率直さで答えることが出来る。わたしはおまえにではなくて、神に従属しているのだからな。しかもおまえがわたしの歳月と盲を嘲ろうとしたからには、わたしにもおまえに言うことがある。おまえは視るが、なのにおのれの陥っている悪を見ない。おまえは視るが、なのにおのれがどこにいて誰と住んでいるのかを見ない。おまえは誰がおまえを生んだのか、知っているか? おまえの家族が、死んだ家族とまだこの世に生きている家族がおまえを呪っているのを知っているか?
 いつの日か戦慄がおまえをこの地上から追い出して、おまえは暗闇だけを見ることだろう。
〈幸運の子〉よ、おまえがどのようにして誰と結婚したのかをようやく悟る、そのときにはどれほどおまえは叫ぶことか! さあ、クレオーンとわたしに泥を塗れるだけ塗るがよい、それでも何者もおまえほどにはおぞましい宿命を負ってはいない。

 オイディプースはテイレシアースに飛びかかり、その両肩を掴んで、激しく彼を揺り動かす。

オイディプース そうしてこんなふうにおまえが喋るのを、われが耐えねばならぬというのか? おまえはいつになったら行ってしまうのだ? 立ち去るのに何を待っているのだ? 往け、往け、ここから去れ!
テイレシアース わたしがここにいるのは、おまえが呼んだからだ。

 オイディプースは彼の向きをくるりと変えさせて、荒々しく肩を押す。

オイディプース こんな馬鹿げた話を聞かされると思ったら、決して呼びなどしなかっただろうに!

〈王〉のひと押しによって辱められ、テイレシアースは立ち去るが、立ち去りながら裁く者の悲しい頑さを見せて後ろを振り返る。

テイレシアース これがわれわれの宿命だ。われわれはおまえにとっては気狂い、おまえを生んだ者にとっては賢者だ……
オイディプース(獰猛な怒りから子供っぽいくらいの好奇心に移って)止まれ! 何と言った? 誰がわれを生んだだと?
テイレシアース 往こう。少年よ、案内してくれ……

 テイレシアースは彼の案内をする少年に寄りかかって、遠ざかってゆく。オイディプースは彼の背後で喚き続ける、純真な絶望しきった好奇心から再び怒りに戻って。

オイディプース そうだ、そうだ、往け、行ってしまえ。ここから失せろ。おまえと一緒にわれの苦しみも失せることだろう。

 けれどもテイレシアースはまだ言いおえたわけではなかった。立ち止まって、もう一度口を開くために振り返る。

テイレシアース わたしは往くが、おまえに告げねばならぬことを本当に言い終ってからのことだ。
 よくよく聴くがよい。威しや命令でおまえが捜している、その男はここにいる。みなが思い込んでいるようによそ者ではある──が、ここに居住している。ところが、やがて彼がテーバイの生れであることが知れよう。しかし彼はその発見を喜ぶまい。なぜなら彼は盲となって乞食をしながら、他の国々へ立ち去るだろうから。またもよそ者となって、杖で地面を探りながら。知るであろう、彼はその子らの同時に兄であり父親であることを。彼はその母親の息子であると同時に夫であることを。それゆえ彼はおのれの父親のものであったのと同じ女と結ばれたことを、そして彼のみが父親の殺害者であることを……

 オイディプースは彼の言葉に耳を澄ます。が、まるで聞えぬかのように彼を見つめる。
 おのれのうちで、何か他のこと、秘かにおのれの魂を描く言説を聞く。
 暴露のどの瞬間も──暴露された事柄はおぞましくとも──その神秘的な、幸せに近い生命力に溢れている。
 こうして内気な、異形の微笑みが生れたばかりで、オイディプースの顔だちの上に貼りつく。いくらかぼんやりした、いくらか狡い微笑みが。彼はおのれのうちで真実の酔わせる液体を飲み干す。
 テイレシアースは立ち去ってゆく。
 相変らず唇の上に笑みを浮かべたまま、オイディプースは王宮のなかに再び入る。


      35 テーバイの王宮。さまざまな内部 屋内。昼。

 王宮内に入るやいなや、仮面の、宙吊りの微笑みはオイディプースの顔から剥げ落ちる。恐怖の表情がその顔に描かれてゆく。暴露はその陶酔と共に地に落ちた。そして曝露されたことだけが残った。曝露されはした、だが受け入れられたわけではないし、信じられたわけでもない、撥ねつけられたことだけが残った。
 王宮内を、彼はロボットみたいに歩く。
 そこでは、保護されているように身に感じる。
 そして実際に大いなる平安がある。豊かさの平安。しかも町中と違ってここでは恐怖が支配していない、あたかも王宮は時化の大海原のなかの安全な島でもあるかのように。
 何もかもが奢侈のなか、安堵させる薄暗がりのなかで輝いている、部屋部屋、僧院の落着きと泉の甘美な噴水のある内奥の狭い中庭。
 それどころかいまは王の部屋部屋の奥からひとつの声が上がる、楽しくも悲しくもない、それゆえに楽しい歌を唱うひとつの声だ。子供っぽいことを天真爛漫に唱う、伝承の古い時代の歌を爽やかな粗削りの少女の声が唱っている。
  少女の歌
 その歌声に導かれるかのように、オイディプースは王宮中を横切って、女たちの部屋に着く。見つからぬままに、薄暗がりのなかで、観察している。
 修道院の厳しい甘美さの漂う狭い中庭の真ん中で、イオカステーがその侍女たちと、熱心に女たちの仕事をしている。手織機で織っている。少女たちは彼女のまわりにいて、静かに手伝っている。そして一人が、まさしく、唱っている。
 オイディプースはおのれの女を見つめる。だが彼にとって、この彼の女とは何者なのか? 確かにいまではもうそれを悟らずにはおれなかったし、たとえ悟らぬまでも、せめて感じずにはおれなかった。テイレシアースの言葉は明らかすぎるほどだった。知りたがらずにおれたとしても覚えずにはおれなかった。明らかなテイレシアースの言葉が狂っていたとしても、それでも「母親」という言葉は発せられてしまった。いま、オイディプースがあの彼の女を異なる眼差しで見ずにおられようか?
 彼女はあそこにいて、その女らしい……家の女主人の……母親の仕事の仕草に、白いヴェールが落ちかかる。そう、母親の仕事だ。なぜなら彼女はそのすべての様子、仕草、もはや乙女の肌ではない白い肌、さらには肌の露わさも気にしないあの彼女の淫らな無頓着さにおいてさえも母性的だから……オイディプースはその露わな肌を見て、堪えきれずに彼女に近寄る、口を噤み、見て王と分らぬくらいに動顛して強奪者みたいに……
 あの侍女は歌うのを止める。


      36 王宮(寝所) 屋内。昼。

 昼間の光のなかのベッド。オイディプースの父親と母親の大きなベッド。
 いまはすべてが黙している。そして王宮のなかに町の唖の苦しみがのしかかる。
 オイディプースとイオカステーが無言で、彼らの部屋に入る。
 彼女はびっくりしているが、黙っている。
 オイディプースはまだ部屋へ入りきる前から、獣じみた激情にかられ動顛して、女を掴む。確かに犯す喜び、堕落させるが世界中で最も素晴らしく最も必要な行為を遂げる荒々しい陶酔を覚えながら。
 女から衣裳を毟りとろうとする。だが忌ま忌ましいあの釦金が母親の胸のうえに頑に閉じられている。彼はそれをこじ開け、匕首みたいに長いその毒針で両手を刺す。血が流れ出る。その血を舐める。
 しかしいまはすぐにも所有の行為を遂げるかわりに、彼女から身体を少し離して、彼女を見つめる。
 それは長い凝視だ。彼と彼女を犯し虐殺する凝視、揚々とさせる恥であり、冒涜する瞑想である。
 そんな幻視を眸に溢れさせ、いまオイディプースは再び微笑む。彼を醜悪にし、彼を邪悪で下品にする汚れた笑みなのに、まさにそのことが彼を有頂天にする。
 ついに女を殺すか、それとも引き裂くかのように、彼女のうえに身を投げる。


       37 王宮のロビー 屋内。屋外。昼。

(王宮の公的場所である。大がかりな民衆の集会に供せられるような──先のシーンにおけるような──場ではなくて、指導者、王子、元老たちのための場である。
 町中とここ、王宮のこの狭い中庭の上に、災厄の曖昧な空気がますます重くのしかかる。)
 長老たちのあいだに、クレオーンがそこにすでにいる。彼らは小声で話しあっている、陰謀か、それとも責任者たちの秘密会合かにも似て。
 クレオーン自身の人格や眼差し抜きには、何ひとつ露わにはなるまい、彼は誠実なのか、それとも不誠実なのか、また彼は真実を愛しているのか、それとも愛していないのか。

クレオーン わたしは知っている、オイディプースがわたしに対して非常に重大な非難をしていることを、わたしは知っている。だからこそわたしはここにいる。わたしが彼に対して何かしたと、もしもオイディプースがほんとうに思い込んでいるのなら、わたしは自己弁明せねばならない。加辱の嫌疑のもとに暮したくはないからな……
長老 蛇が、あんたが非難されたのは逆上の挙げ句のことなんだから、落着きなされ……
クレオーン しかし彼はおのれの言ったことが分っていたのか、それとも分っていなかったのか?
長老(故意に口を噤み、たぶん臆病ゆえに)分らない。目上の人のすることはわしにはよく分からぬて……

 オイディプースが入ってきて会話は途絶える。沈黙は不快に緊迫している。
 オイディプースは奇妙にも自信に溢れて、見るからに〈王〉らしい。
 けれど彼の攻撃的な自信は勝ちたい者のそれではなくて、屈したくない者のそれである。

オイディプース(意地悪く)おや、めずらしい! どうしておまえがここにいるのか? いったいどの面下げてわが家にまた顔を出せたのかな、いまではおまえがわれを除いてわが王国を横取りしたがっていることは太陽みたいに明らかなのに? おまえがここに来たのは、ひょっとしてわれが臆病者か、それとも気狂いかとでも思ったのか?
 何に望みをかけているのか? 民衆と権力はみなわれの側にある。おまえは手に何もない。
クレオーン さておまえは話した、こんどはわたしに話させてくれ……
オイディプース おまえは無実だと、われに対して何ら邪な意図は持たぬと言うのではあるまいな……
クレオーン 邪な意図? それならどんなわたしの行動があって、おまえが愚痴をこぼすのが尤もなのか、示してもらおう。
オイディプース テイレシアースに尋ねてみよとわれを説き伏せたのはおまえではなかったか?
クレオーン そうだ、わたしだ。いまでもそうして良かったと思っている。
オイディプース どれほどの時が経っている、ラーイオスのときから……
クレオーン ラーイオス?
オイディプース ……ラーイオスが殺され、手掛かりもなしに逝ってから?
クレオーン 長い時が過ぎた。
オイディプース で、テイレシアースはその当時も、預言をしていなかったか?
クレオーン そうだ、していた。誰からも尊敬されて今日と同じように。
オイディプース そしてその預言のなかで、たまさか、われのことを言いはしなかったのか?
クレオーン 少なくともわたしの前では、決して。
オイディプース それならば……あの死については……おまえたちの〈王〉……ラーイオスの……おまえたちは何の取調べもしなかったのか?
クレオーン いや、むろん調べたが、無駄だった。
オイディプース ならばこの件でも、なぜテイレシアースは何も言わなかったのか?
クレオーン 分らない……

 オイディプースはその貧しい勝利に勝ち誇り、怒りにわれを忘れて大声をたてる。

オイディプース あは、分らない! そしてわれらの捜す人殺しがわれだと彼が触れ回るときに、おまえと彼が示し合せたことも分らないのだな?

 クレオーンも怒りにわれを忘れる。彼に関することすべてと同じように、不可解な怒りではある。なぜなら彼が何者で、彼が本当は何を望んでいるのか、われわれは知らないのだから。

クレオーン むしろおまえこそわたしに言ってくれ、おまえの妻はわたしの姉ではないのか?
オイディプース(喚きながら)確かにそうだ!
クレオーン たぶん、おまえは彼女と権力を分ち持っているのではないか?
オイディプース(相変らず喚きながら)確かに、われは権力を彼女と分ち持っている!
クレオーン ならばわたしはおまえの脇に立って、対等ではないか? わたしに足りぬ何があろう? いや、いや、わたしは元首になんかてんでなりたくない。わたしは最小限の知恵を持つ誰とも同じく、元首みたいに暮せれば充分だ。欲しいものは何もかもおまえから得ているではないか、わたしは? しかも苦労なしに、どんな類の心配もなしに?それなのにもしわたしが〈王〉だったら、どれほど嫌なことでもしなくてはならぬことだろう。不安や責任ずくめのなんて暮しだろう……いや、いや、狂気と悪事とは同じひとつのことだ。あいにくわたしは気狂いではない、いまの暮しよりもまるでよくない地位を望むほどにはね。おまえ自らアポローンの神託所へ往くがいい。おまえの耳で確かめるがいい、わたしがおまえに持ち帰った神託が本物か、それともわたしがテイレシアースと共謀してでっち上げたものかどうか。もしもでっち上げだったら、わたしを死刑にして、正しいのはおまえだが……
元老 彼の言うことは充分に分別があるように思える……オイディプースよ、聞くがいい。
オイディプース 分別がある? だがわれも分別がなくてはな。彼のたくらみを失敗させてわれの思いどおりにしてこそわれも分別があるというものだ!
クレオーン どうしようというのか? わたしを流刑にするのか?
オイディプース いいや、おまえの罰は流刑ではなくて、死刑だろう。
元老 君主たちよ、たくさんだ、お願いだからそういうことは言わずに……黙って、黙って……

 劇的な瞬間の混乱のなか、反動の渾沌のなか、回復できぬことが起っていながら、すぐにはそれを説明できぬときに、とりわけそれを確かめえないときに──そしてある者は喚き、ある者は黙し──オイディプースとクレオーンが喚きあっているのが聞える。他方、元老たちは仲間うちで話しあって調停者として、割って入る仕方を探っている……

クレオーン 画面外 わたしを罰するがいい、しかしおまえの憎しみの理由は何だか言え! 本当の理由を!
オイディプース 画面外 なぜなら、おまえは目下であることに甘んじないからだ!
クレオーン 画面外 そんなのは嘘だ!嘘だ!
オイディプース 画面外 嘘をついているのはおまえだ!
クレオーン 画面外 わたしを理解したくないのなら。
オイディプース(憤激してたわいもなく)譲ろうとしないのはおまえだ!

 こうした喚き声や、元老たちの不均衡で手に負えない右往左往のなかに、イオカステーが入ってくる。うち眺め、事態を把握しようと、口を噤む。

クレオーン 画面外 おまえの気違いじみた命令など信ずるか……
オイディプース(画面外。泣かんばかりに) おお、テーバイよ! おお、テーバイよ!
クレオーン 画面外 わたしだってテーバイ人だ、おまえばかりではない!

 イオカステーがいきなり介入するが、奇妙にも超然として落着き払っている、まるで現実に関りたくない、受け入れたくなくて、むしろ事態を無視する者かのように。

イオカステー あなたたちのあいだに何が起きたの? なぜそんなに喧嘩するの、なぜ? 町がこんな有り様だというときにあなたたちは恥ずかしくはないの、自分たちの個人的な問題でいがみ合って? オイディプース、あなたはあたしと王宮へ戻らないこと。そしてあなた、クレオーン、自分の宮殿へ帰りなさい。さもないと何でもないことから大きな不幸が生まれてよ……

 きっぱりと、優雅に、知ろうとしない者のあの感染的な落着き払った物腰で、オイディプースの手を取りにゆくと、男は少年みたいにたちまち屈して、連れ去られるままになる。
 元老たちはイオカステーとオイディプースから数歩遅れてついてゆく、まるであのオイディプースの屈伏につけ込んでさらなる安らぎへと説きつけるかのように。

元老 善良で賢明であれ、オイディプースよ、譲ることだ……
別の元老 誠実であると誓った者は尊重してやらねば……
三人目の元老 誓った友人を、証拠もなしに漠とした非難で辱めまいぞ……
元老 古い悪に、新たな悪をつけ足したくはないものだ……

 オイディプースは、いまではその私邸の敷居の上にいる。母親にしっかりと手を握られて、振り返るが、温和な戸惑った顔つきに変っている。

オイディプース そういうことなら往かせるがいい。彼のためにそうするのではなくて、おまえたちのためにだ……かつ、このようにして、われはおのれ自身を罰する……
クレオーン おまえに屈するが、遺恨をこめてだ。なぜだ、オイディプースよ、なぜ?
 
 オイディプースはまたもかっとなって言うが、こんどは絶望しきっている。

イディプース(喚きながら)往け、往け、何を待つのか、さっさと往ってしまえ!

 そしてイオカステーと共にその私邸に入ると、もう後ろを振り向きもしない。
 クレオーンは踵を巡らし、反対側から無言で、町へと出てゆく。


       38 王宮内部 結婚の間まで 屋内。昼。

 イオカステーとオイディプースが手を繋ぎ──導かれるままになっているのはオイディプースのほうだ──彼らの家の部屋部屋に沿って黙って歩いてゆく。
 しばらくのあいだ彼らは話さない。するとそこに、風に乗って遠くから、なおも葬送歌が王宮のなかに入り込む。
  辛うじて聞き取れる葬送歌。
 大気中に漂うあのかぼそい死の歌声と共に、ふたりは歩く。
 そして黙っている。
 中庭に着くと──そこについ先程までイオカステーが侍女たちに囲まれて坐って紡いでいたのだが──ほとんど同時に瞬時の共通意識から、ふたりは固く手を握りあって往くことにする。
 握りあった手への視線の ディテール 。
 ほどける手と手の ディテール 。
 こうして母親と息子はいっそう悲しみに沈んで孤独に、彼らの寝所へと、習慣によってか、それとも世界からほんとうに身を隠せる避難所を探す本能によってか、押しやられるかのように歩みゆく。


       39 寝所 屋内。昼。

 部屋に入る。すると、大いなる冷えきった沈黙が彼らを迎える。イオカステーはベッドの縁に腰を下ろす。オイディプースは彼女に背を向け、町の家並の屋根を望む大きな窓のほうを向いている。あちらから、どれほど果てしなく遠く離れていようと、いくらかよりはっきりと葬式の嘆き声が届いてくる。

イオカステー なぜ……なぜ、あなたとクレオーンが……

 オイディプースが荒々しく振り返る。

オイディプース なぜならおまえの弟のクレオーンがぼくこそラーイオスの暗殺者だと非難するからだ、まさにだから……
イオカステー だけど……そんな非難をするのは……彼が自分で考えたことなの、それとも誰かが彼に入れ知恵したの?……
オイディプース いや、彼はぼくの前にテイレシアースを寄越した……ぼくを非難したのはテイレシアースだ……彼はおのれは無実だと言っている……

 初めの怒りから、いまはオイディプースは話す必要から話している、助けを求めるかのように。そしてイオカステーは酷い不幸の儀式におけるかのように、小声で答える。

イオカステー それがあなたのお話しなら……あなたは気を安んじるがいい……人間であるかぎり何者も予言者とはなれない、何者も! よく聞いて、あたしが間違っていたら言って! 昔、わが夫、ラーイオス王にある預言が下った。その預言によれば、彼は、あたしと彼から生れたその息子によって殺されるとのことだった……ところがどうお、彼はその息子によってではなくて、一団の掠奪者たちによって、断崖と川で狭まる街道沿いで殺された……いまはあなたも知っておいて、ラーイオスはあたしたちの息子のあの赤子を掴まえると、足を縛って、近寄りがたい山の崖のあいだに投げ込ませ、そこで死なせた……さあ、これだから、預言がどんなふうに未来を当てることか、あなたにも判断できてよ! オイディプースよ、心配しないで、あたしを信じて。もしも〈神〉がその意図を示したいのなら、曖昧さなしに、仲介者なしに示すといいのだわ!

 イオカステーが話すにつれて、オイディプースの顔に恐怖が浮び上がってくる。いまは動顛しきって彼女を眺めている。

オイディプース そんなおまえの言葉に、どれほど苦しみと驚きをぼくが覚えたことか、おまえに分れば……
イオカステー(彼女のほうも驚いて)でもなぜそんなことを言うの! 何を怖がっているの?
オイディプース ラーイオスは殺された──おまえが言ったのだ──川の上に掘られた崖道の街道で……
イオカステー ええ、そういう話よ……
オイディプース それでその場所はどこだ?
イオカステー アポローンの神託所からここまでの道筋だわ……
オイディプース そしてどれほどの時が、正確には経ったのだ?
イオカステー 暗殺のニュースが届いたのは……あなたがここテーバイに着くほんの少し前のことよ……

 いまやオイディプースの目のなかの恐怖は幼子のそれみたいに剥き出しとなる。彼は黙り込み、やがて両手で顔を隠す。

オイディプース 〈神〉よ! 何てことをぼくにさせたいのだ!

 そしてこうした言葉の響きは決して終らないように思えた、なぜならそのあとに長くて苦しみに満ちた沈黙が続いたから。

イオカステー 分らない……なぜ、あなたがそんなことにそれほど関心を持つのか……
オイディプース ああ、お願いだ、ぼくに何も聞かないでくれ。当時、ラーイオスはどんな外見をしていた? 何歳だった?
イオカステー 背が高くて、白髪が多くて。あなたとさほど変らなかった。

 この宿命の新たな一撃にまたも長い沈黙。やがてオイディプースが物凄い笑みを浮かべてまた話しだす。

オイディプース そういうことならたぶん本当だったのだ。これまでぼくはおのれ自身を呪ってきた……
イオカステー 何て言ったの? それになぜそんな顔をするの……あなたを見ると怖いわ……
オイディプース ぼくも狂った恐怖にとり憑かれてしまった、テイレシアースが本当に真実を見徹すのではないかという恐怖に……しかし言ってくれ……おまえの夫、ラーイオスはお忍びでか、それとも大勢お供を引き連れてか、旅をしていたのは?
イオカステー 彼はお供に五人連れていた、兵士が四人に下男を一人、そして馬車はたった一台で出かけていった……
オイディプース そして誰があの一切のニュースをもたらしたのか?
イオカステー 下男が、たったひとり助かった男が……
オイディプース(叫ぶように)そしてその下男はいまもここに、この宮殿にいるのか?
イオカステー いいえ、彼が戻ってきてあなたがラーイオスの座にいるのを見ると、テーバイから出来るだけ遠い野辺でわが家の家畜を放牧することをあたしに願ったので、叶えてやった。あの忠実な下男には、もっと報いてやってもよかったくらいだったから……
オイディプース ただちに彼をここに来させてくれるか……
イオカステー もちろん、そうするけれど、なぜ彼に会いたいの?
オイディプース もう他の質問は止してくれ……ぼくは話しすぎたくらいだ……こんなことまで、話したくないのに話してしまった気がする……

 こうした不明瞭な言葉を、夢のなかでのように、まさしく「したくないのに」彼は発する。
 しかしその間にも彼の目はイオカステーのうえにわれを忘れる。もう愛ではないのになおも必死にそうであろうとする愛の眼差しをもって彼女を見つめる。
 彼女を見つめる。幸せな甘美な顔、蛮族風で王者らしい長い目、喉、白くて大きな乳房……胸の上で白い衣裳を支える釦金……
 彼女に近寄り、手を掴む。彼女に助けを求めるためにか? 彼女にしがみつくためにか?
 けれどもその仕草はたちまち別の仕草に変わってゆく。
 彼女の手を放して腰を掴んで、身体ごと引き寄せて、抱き締めながら口に口づけする。
 しかし抱擁と口づけは、非現実化されたかのように、ひとりでに次第に解けてゆく。
 だのに相変らず抱擁したまま、口から口へ、オイディプースは唐突にまた話しだす。

オイディプース ぼくの父親はポリュボス、コリントスの王だ……そしてぼくの母親はメロペー……けれど、ある日……ぼくに腹を立てた一人の仲間が……ぼくのことを……ぼくの父親の貰い子だと呼んだ……ぼくは黙ってられずに、両親に問い質した……彼らはそんなふうにぼくを侮辱した者に対して立腹したが、ぼくはその話が真実だったのを悟った……

 再びイオカステーに機械的、無意識的、そして絶望的な口づけをするが、すぐにまた話しだす。

オイディプース ……でもぼくのなかにはある思いが残った……何かどうしてもぼくから振り払えないものが……アポローンの神託所に往くことにした……でも神は……ぼくの願いに答えないばかりか……別のぞっとするようなことをぼくに顕わす。ぼくに告げる……ぼくはおのれの母親とセックスする宿命だった……そして彼女と怪物じみた子らをつくる……ぼくがおのれの父親を殺すのも宿命だったとぼくに告げる……そのような預言を受けて、誰がなおコリントスへ帰る勇気をもてたことだろう?
 再び両腕でイオカステーを締めつけるが、こんどは口づけはしないで、絶望しきった顔を彼女の肩と頬のあいだに沈める。
 そしてこうして、無のなかを凝視しながら、彼は話しつづける。

オイディプース ……コリントスとは反対の方角へあてもなく踏み出した……そして……川の上に掘られた崖道の街道で……衛兵四人に下男を一人供にした馬車に乗った男に出遇った……喧嘩になって……ぼくは衛兵たちとあの男、ぼくを圧迫しようと、居丈高にぼくを侮辱したあの男を殺した……いま、あの男とラーイオスの間になんらかの類似があるとすると……ぼくは……
イオカステー(彼を遮りながら)オイディプース、あなたの話であたしは怖くなった。だけど、決定的な証言を聴くまでは、待って、希望を捨てないで……
オイディプース(彼女から一瞬、身体を離して)それこそぼくに残った一縷の希望だ……おまえも知るあの下男だ……彼は何人もの山賊が〈王〉を殺したと言った……ああ、やって来て彼がまたこの話を繰り返すなら、この真実を確実にしてくれるなら……

 悪夢のあり得る終焉というあの不条理な、新たな希望についかられて、オイディプースは腕のなかのイオカステーを再び抱き締める。そして彼の手は花婿の長年の習慣で、イオカステーの肩の上で衣裳を支える大きな釦金へと伸びる。
 しかし同じように無意識的に、新たな他の何ものよりも激しい直観ゆえに、イオカステーの手も伸びて、オイディプースの手の上に重なって、釦金から遠ざける。ふたりは、こうして、互いに向きあって見つめあう。
 それは一瞬の、表情のない眼差しだ。
 やがてイオカステーはオイディプースから身体を引き離すと、逃げるような足取りで遠ざかってゆく。

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